【漢の簫何】管理部門の有能さで差がついた事例 2200年前の歴史に学ぶ

殴り合うカンガルー

古代中国に「漢」という国が成立するときに、君主を支えた有能な功臣がいました。裏方の管理部門に有能な家臣がいたことが、漢帝国の誕生に大きく寄与した事例を見ます。

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いにしえの漢帝国

司馬遼太郎の『項羽と劉邦』に代表されるように、古代中国における楚(そ)と漢(かん)の戦いは人気のある話です。

その話のなかでも、戦略を立てた軍師・張良(ちょうりょう)や、国士無双といわれた将軍・韓信(かんしん)は有名です。しかし、漢帝国の成立にあたり、功績が一番ある人とたたえられたのは、簫何(しょうか)という政治家でした。

この簫何、前線で戦ったことはありません。それなのに、なぜ最も功績がある人とたたえられたのでしょうか。

簫何(Xiao_he)

▲簫何(Wikipediaより引用)

劉邦は裏方を支える簫何に助けられた

今から2200年ほど前、簫何の主君である漢の劉邦(りゅうほう)は、ライバルである楚の項羽(こうう)と戦いを続けていました。

劉邦は、勇猛な項羽と戦って負けることが多く、命を失いかける危機も一度や二度ではありませんでした。しかし、戦力を失っても、後方を支える簫何から新しい兵士と食糧が送られてきました。

 

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項羽には簫何のような家臣がいなかった

一方、項羽の家臣には、強い将軍たちや頭の良い軍師はいましたが、簫何のように後方を支える有能な家臣がいませんでした。

項羽は初めから有利に戦いを進めていたものの、じわじわと形勢を逆転され、ついに劉邦に負けて自害しました。

劉邦は簫何をどう評価したか?

その後、劉邦と家臣が集まった会議では、曹参(そうしん)という勇猛な将軍が一番の功績のある人として、多くの家臣から推薦されました。

しかし、劉邦はそれを差し置いて、一番の功績があると評価したのは、前線で活躍した将軍たちではなく、後方にいた簫何でした。

簫何の功績は、裏方の管理部門として常に前線を支えたことであり、その地道な貢献を劉邦は忘れなかったわけです。

経営への当てはめ

この事例を経営に当てはめるとどうでしょうか。組織における管理部門のような裏方は、しばしば軽視されがちなポジションです。特に中小企業ではその傾向が強いようです。

例えば、勢いのあった企業も、突然に成長が頭打ちになってしまうことがあります。その理由は様々でしょうが、ひとつの原因としては、裏方に対する投資の不足があるようにも考えます。

お金を稼ぐ部門ばかりを重視しつづけて、後方の管理部門の強化を軽視していると、ある日突然に成長が止まってしまうということです。

まとめ

簫何は名前こそ有名ではありませんが、いにしえの大帝国を作り上げた一番の功臣です。この逸話は、組織においても裏方を軽視してはいけないことを示しています。

「圧倒的優位をほこっていた項羽がなぜ負けたのか?」という話は、組織を語るにあたって、役立つ話が多く含まれています。

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