西郷隆盛が生前に話した内容をまとめた「西郷南洲翁遺訓」に、国家と租税についてコメントしている点がありました。この点について採り上げます。
説明のポイント
- 西郷は、殖産興業のための増税に反対の立場だった
- 財政政策に自制を持つべきと考えていた
「明治維新」の立役者・西郷隆盛
西郷隆盛は、「明治維新」の立役者として有名な人物です。
その生涯の最後は、政府に反乱を起こして敗死しましたが、東京の上野恩賜公園に銅像が建っていることでもわかるとおり、その人気はいまもって群を抜いているといえるでしょう。
また、来年(平成30年・2018年)のNHK大河ドラマの主人公であることからも、その人気が伺えますし、幕末ものの大河ドラマでも必ず重要人物として描かれています。
代表的日本人
明治・大正期の宗教者(キリスト教)・思想家である内村鑑三は、日本人を代表する人物のひとりに西郷を挙げています。
内村の著書である『代表的日本人』は、英語で書かれた書物で、日清戦争(1894~1895年)当時において、日本のことをよく知らない外国人に向けて発表したものです。
このうち幕末・明治期の日本人として紹介したのは、西郷だけです。(その他は、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮)
内村は、「この国のもっとも偉大な人物を二人あげるとすれば、私は、ためらわずに太閤と西郷との名をあげます」と述べており、西郷を「純粋の意志力との関係が深く、道徳的な偉大さがあります」と述べて、最大限の賛辞を送っています。
京セラ創業者・稲盛氏の思想の柱
西郷を高く評価しているのは、昔の思想家だけではありません。
例えば、京セラ創業者の稲盛和夫氏は、子供の頃から西郷を敬愛しており、西郷の精神の復活が必要であると説いています。(『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』2007年)
稲盛氏の経営の思想は、『アメーバ経営』など、現代のビジネスパーソンからも多く支持を集めています。このことは、現代のビジネスパーソンたちも、間接的に西郷の思想から影響を受けていることを意味します。
西郷の思想とはどのようなものか?
明治・大正期の思想家から、現代の経営者に至るまで、数多くの人々から敬愛される西郷。
西郷とは、どんな人物だったのかをもっと知ってみたいと思うでしょう。その人物を知るためには、その著書を読むのが一番です。
西郷が残した著書は一冊もありません。しかし、西郷から教えを受けた人々が、その教えをまとめたものが「西郷南洲翁遺訓」として伝えられています。「南洲」は、西郷の「号」です。
西郷は租税についてどう考えていたか
このブログの記事では、租税に関して注目しています。そこで「西郷南洲翁遺訓」から、西郷が租税に言及した部分を見てみましょう。
租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするは、即ち國力を養成する也。故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐(しひ)たげぬもの也。
青空文庫 西郷隆盛「遺訓」より引用
昔の文章をそのまま引用すると読みづらいですが、大まかな意味をまとめると、
- 税金を安くして、民を豊かにすれば、国力も育つ
- 財政が不足しても税制を正しく守り、上の立場の人が損をしても、下の立場の人をいじめてはならない
と述べています。つまり、西郷はむやみな徴税よりも、民を豊かにして、国力の増大に力を入れるべきと述べています。
当時は、国が先頭に立って工業を興していく「殖産興業」の時代でした。これに比べ、西郷の主張は、民間の力を主体とすべきというもので、政府の考えとまったく逆行する主張です。
西郷が政争に破れ、下野したころ(明治6年・1873年)の産業別就業人口の割合を見ると、第1次産業の割合は8割を超えており、第2次産業は未熟でした。
参考:産業別就業人口割合 -農業経済からサービス経済へ-(日本リサーチ総合研究所)
つまり西郷の主張とは、「農本主義」そのものでした。
現代にそのまま当てはめることはできるのか?
この西郷の考え方を引用して、「民力が大事だ、国家が税をよくばる増税はけしからん」ということを主張し、現代での増税を批判する人々もいるようです。
ただし、明治時代と現在では、財政のしくみはまったく異なります。明治初期の税金は、「地租」という土地への課税がほとんどで、課税方法も未熟でした。
引用:明治前期の酒税(国税庁)
政治制度は「王政復古」のままであり、産業はもとより、財政や税の機能も、現代と比べ物にならないほど未熟です。
このため、当時の考え方をそのまま現代に当てはめて増税を批判することは、あまり意味がないことのように思われます。
日本人の思想のバックボーン?
むしろ注目されるのは、こうした西郷の思想が、日本人のバックボーンになっているように考えられる点です。
西郷は、こうも述べています。
- 財政が苦しくなると、小役人が登用されて、無理やり税金を徴収する
- こうした政策が採用されると、人民は税を逃れようとするために、官民は敵対することになり、やがては国家の崩壊を招く
- 出費の制限をおろそかにして、必要な分だけ税を取れば、国民に多大な負担をかけることになる。その出費でいったんは進歩したように見えても、国力は疲弊している
日本人の考え方には、西郷の思想に近い部分があるようです。その点は、権威的な政治家や官僚を信頼していないところにもうかがえます。
西郷の無念 「明治維新」は英雄譚か?
西郷の主張を読んでいると、職を辞して鹿児島に帰った無念さが伝わってきます。
西郷は、教え子たちの決起に巻き込まれるかたちで西南戦争(1877年・明治10年)を戦い、敗死しました。(画像は、wikipediaより西南戦争の画)
余談ですが、筆者は、いわゆる「明治維新」という出来事を、「プラスの評価」として見ていません。
日本の国力(識字率・軽工業・交通網・官僚制度など)は江戸時代を通じて、もともと高いレベルを保っており、これが明治期の発展の原動力になったと考えています。これは薩摩・長州の功績ではありません。
また、薩摩・長州が「列強の侵略に対する危機意識」を持って倒幕を決意したというのも、あやしい歴史の解釈と考えます。
これは、倒幕後の「岩倉使節団」によって欧米を視察してから、国の方針を決めていることからも明らかです。もともと攘夷思想を掲げていた武士たちは、「倒幕後に何をするか、方針を持っていなかった」というのが、自然なものの見方といえます。
西郷は、せっかく幕府を倒したのに、結局「欧米列強の後追い」を選んだ維新政府によほど我慢がならなかったようにも思えますが、どうでしょうか。
まとめ
現代においても西郷の人気が色あせないのは、その思想がいまも日本人のなかに広く影響していると見ることができるでしょう。
租税については、民力を重視し、農本主義的な立場をとっていることがわかります。現代の租税のしくみにそのまま当てはめるのは難しいけれども、その考え方は現在にも影響を及ぼしているように考えられるでしょう。
前述のとおり、カリスマ経営者として知られる人物も、その西郷の思想を自らの主柱としています。西郷が残した影響は、計り知れないレベルであることがうかがえます。