先日の記事の続きです。先に「酒税の世界 なぜ自分で酒を造ってはいけないのか?(前編)」をご覧ください。
緩和される酒造免許
業者に対する酒造免許の付与については、平成に入って以降、規制緩和や構造改革とともに若干のゆるまりを見せています。
地ビール
1993年(平成5年)に非自民系の細川内閣が誕生、1994年(平成6年)4月の酒税法改正により酒造免許の要件が緩められました。
ビールの年間最低製造量が2000キロリットルから60キロリットルに引き下げられ、各地に小規模のビールメーカーが生まれ、地ビールブームが起こりました。
どぶろく特区
2002年(平成14年)、小泉内閣の規制緩和により、構造改革特別区域内において許可を得ることを条件に、「どぶろく」を造ることが可能になりました。
許可を得たどぶろく造りは、酒税法の年間最低製造量の制限を受けません。
しかし、どぶろく造りは簡単ではなく、認定を得るまでには相当な苦労が必要であることが、本郷明美『どはどぶろくのど 失われた酒を訪ねて』(2011年)の取材で言及されています。
「どぶろく」(濁酒)とは、米こうじ・水を原料としたもので「こさないもの」(濾過しないもの)とされています。
清酒はこすことを求めていますが(酒税法第3条7項)、どぶろくはこさないのが違いです。
参考:新潟県内のどぶろく特区(新潟県HP)
平成29年度税制改正により「焼酎特区」の制度が創設されます。構造改革特別区域内における単式蒸留焼酎の製造免許を有する場合は、年間最低製造量の制限を受けない制度です。
自家醸造の解禁を求める声
酒税法が自家醸造を制限することについては、酒造に詳しい専門家からも強い疑問の声があります。
穂積忠彦氏は、著書『酒つくり自由化宣言 生きている酒を手造りで』(1993年)において、酒税法が自家醸造の権利を奪っていることを厳しく批判しました。
その主張をまとめると、次のとおりです。
- 酒はその国の食文化の主柱であるが、自家醸造の禁止は文化の否定である
- 先進国で、度数の低い酒類まで含めて自家醸造を禁じているのは日本だけ
- 酒税は国税の主要を占めておらず、自家醸造が徴税に与える影響は少ない
これらの観点から、
- 酒税法の自家醸造禁止規定は「商品として製造される」酒類に限定する
- 「酒類製造免許」を「酒類製造業免許」に変更する
のいずれかの改正によって、個人が自己で消費するための酒造りを認めるべきと主張しました。
100年を超えて続く禁止規定だが……
明治32年(1899年)に禁止された自家醸造は、いまもって廃止される見込みはなく、これを批判する動きもほとんど見られません。
その一方で、国税当局が自家醸造を取り締まったという報道も耳にすることはほとんどありません。平成26年度の国税庁統計(間接国税犯則事件)によれば、酒税法第54条(非免許者の「密造」に対する罰則)の検挙数は2件とされています。(平成25年度は10件、平成24年度は5件)
味噌や納豆を自分でつくっても怒られることはありませんが、なぜお酒だけがダメなのか。平成元年の最高裁判決にもあるとおり、自家醸造を禁止する根拠は税収の確保のためとされていました。
しかし、酒税は国税のうち2%程度を占めるに過ぎず、明治時代とは異なり重要な税目とはいえません。
もし仮に自家醸造を解禁したとしても、その税収がただちに0円になるわけでもないでしょう。
自家醸造の解禁に意味はあるか?
こうした疑問もあるでしょう。「よい酒、うまい酒が安価に手に入る現代において、お酒を自分で造る権利に意味なんてあるのでしょうか?」と。
自分で酒造りをしても所詮は素人であり、酒造メーカーが造ったレベルにかなうはずはありません。明治から戦後とは時代は異なりますので、自分で酒造りをすることは、安い酒を飲むためとは別次元の話です。
他の先進国では、健康面から高度のアルコールにのみ、自家醸造の規制があるとのことです。低率のアルコールにまで自家醸造を制限している日本の現状は、規制としては過剰といえるでしょう。
自分で作ったものを自分で飲むという、食への権利が奪われている事実。
この規制が続く現状は、日本人の自国の食文化に対する関心が薄いと見られてもやむを得ないものと考えます。
追記:
この記事では、明治時代に自家醸造が禁止された背景を詳しく書けなかったので、その経緯をまとめた記事を書きました。
また、大正時代に東北地方の税務署が貼り出した、自家醸造を禁止するビラを紹介する記事を書きました。