酒税の世界 明治時代に自家醸造が禁止された理由とは?

日本酒

酒税法は、自由にお酒をつくることを禁止しています。この規定が明治時代になぜ生まれたのか、時代背景を確認します。

説明のポイント

  • 自家醸造の禁止規定は、富国強兵政策と、日清戦争後の税収不足が原因
  • 酒税の増税に抵抗する酒造業者の要望で、自家醸造が全面禁止された
スポンサーリンク

なぜ自分で酒を造ってはダメなのか?

お酒に関する法律として「酒税法」があります。酒税法によれば、アルコール分1度以上の飲料をお酒として定義しています。

酒税法では、お酒を造る権利を制限しており、醸造免許を得ることを酒造りの条件としています。つまり、個人が自由にお酒を造ること(自家醸造)は、法律上認められていません。

この禁止規定が生まれたのは1899年(明治32年)です。その理由は、「富国強兵」のための増税によるものでした。そして、100年以上続く禁止規定は、現在に至るまで見直しされないまま続いています。

以前にこの内容を投稿したところ、好評をいただいています。

参考酒税の世界 なぜ自分で酒を造ってはいけないのか?(前編)(当サイト、2016年1月24日)

歴史的経緯が紹介されている論文

以前の投稿では、自家醸造の禁止規定と解禁論にスポットを当てており、禁止規定ができた具体的な経緯には触れていませんでした。

このような話は、酒税に関する研究書籍を参照するのが一般的ですが、国税庁の研究教育機関である税務大学校の論文にも、その経緯の書かれているものがありました。

参照齋藤稔「税務行政と共同体」(税大論叢12号、1978年)の40ページ~60ページ

参照内薗惟幾「税務職員の殉難小史-酒類密造等の沿革と併せて-」(税大論叢12号、1978年)の281ページ~287ページ

この2つの論文は今から38年前に書かれたものです。「税務行政と共同体」は、税務行政のあり方を共同体の視点から概観する論文です。また、「税務職員の殉難小史」は、密造酒の取り締まりで殉職した税務職員の記録をまとめたものです。

いずれも自家醸造に関する研究ではありませんが、禁止規定のできた背景が触れられています。これらの論文をもとに、自家醸造が禁止された背景を確認します。

禁止された背景とは何か?

stop-sign

まず、自家醸造が禁止されるまでの流れを挙げます。

  • 1880年(明治13年) 自家用酒の製造数量を1石(180リットル)以下に制限(初めての規制)
  • 1882年(明治15年) 自家用酒の免許鑑札制度を導入し、自家用酒の販売を禁止
  • 1894年(明治27年) 日清戦争(~1895年)
  • 1896年(明治29年) 自家用酒税法を制定し、国税を10円以上納税する者(資産家)の自家醸造を禁止
  • 1899年(明治32年) 自家用酒税法を廃止し、自家醸造を全面禁止

1.自家醸造の禁止は酒造業者からの要望だった

まず意外なのは、政府が積極的に規制を設けたというよりも、酒造業者からの強い要望によって、自家醸造が禁止されたということでしょう。

 

スポンサーリンク

 

政府は当初、自家醸造は文化として定着したものだから、全面的な規制は不要であると考えていました。ところが、日清戦争の影響で財政が苦しくなり、考え方を改めざるを得なくなったとのことです。

酒造業者たちの団体は、酒税への増税に抵抗し、同時に自家醸造の禁止を要望しました。自家醸造が禁止されれば、業者の造るお酒を飲んでもらえるという思惑があったからです。

2.資産家の酒造りを封じる規制だった

明治政府が一定の規制を設けつつも自家醸造を認めていたのは、貧困層への影響を避けるという理由もありました。

ところが、自分で酒を造っている者の内実を見てみると、資産家たちによる酒造りが多くを占めており、酒造業者からの反発がありました。

この状況を規制するため、1896年(明治29年)に「自家用酒税法」が設けられました。この法律では、国税を多く納める者の自家醸造を禁止するほか、納税額の違いによって製造できる数量に差が設けられました。

なお、この3年後の1899年(明治32年)に自家用酒税法が廃止され、酒造業者以外の酒造りは全面的に禁止されました。

3.酒税は現在と比較できないほど重要だった

1899年(明治32年)における税収のうち、酒税は36%を占めていました。これは、土地に課税する「地租」(現在の固定資産税に相当)とほぼ同等です。

「地租改正」という明治初期の税制改革は、歴史の教科書にも登場する事柄です。その地租と同じレベルの税収が、酒税からもたらされていたわけです。

このため、自家醸造を規制して税収を増やそうという思惑が生まれるのは、当然のことでした。

4.自家用酒の製造数量は20%にも及んでいた

当時の清酒及び濁酒の製造数量は約400万石であったのに対して、自家醸造の製造数量は約100万石と推定されています。

非正規ルートのお酒が数量比で20%もあったということは、自家醸造の影響が相当に大きかったといえるでしょう。

※1石=180リットル

まとめ

税務大学校の論文をもとに、明治時代における自家醸造の禁止の背景を確認しました。

自家醸造の禁止は「富国強兵」政策の影響であり、増税に苦しむ酒造業者からの強い要望により行われたことがわかります。また、酒税という税目が、現在とは比べものにならないほど重要だったことも原因でしょう。

一方、現在は所得税・法人税・消費税を中心とした税収構造となっており、相対的に酒税の重要性は低くなっています。

mof-tax28

平成28年度予算「国税・地方税の税目・内訳」(財務省)

自家醸造が禁止された理由を見れば、現在に至っては、既に意味の失われたものであることがわかります。この禁止規定は100年以上も続く「富国強兵の亡霊」であり、意味の薄い過剰規制といえるでしょう。

スポンサーリンク

この記事が役立ちましたらシェアをお願いします

フォローする